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映画感想と雑記

現代に受け継がれる思い。『WEST SIDE STORY』感想【ネタバレ有り】

※この記事は、映画『WEST SIDE STORY』に関するネタバレを含みます。

未鑑賞の方でネタバレを踏みたくない方はご注意ください。

 

さて、前回に続いて、映画『WEST SIDE STORY』の感想をお送りします。

今度はもう少し踏み込んで、具体的な感想を書いていきたいなと思います。

 

前回記事はこちらからどうぞ。

 

nobulog.hatenablog.jp

 

トニー(アンセル・エルゴート)について

まずは主役のトニーについて。

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ストーリーでは最後に恋人の前で

銃に打たれて死んでしまうという悲惨な運命をたどります。

もともと不良グループのリーダーだったトニー。刑務所に入り、何もない空間で

初めて自分自身を見直したと序盤語る場面があります。

トニーは人生をイチからやり直そうとしていたのです。

 

親友でありジェッツの現リーダーのリフに誘われて行ったダンスパーティで

運命の相手マリアと出会うわけですが

本人が「やり直したい」という気持ちがなければ、プエルトリコ系移民のマリアに心惹かれることはなかったのではないかとも思います。

 

この「やり直し」に関して、演じたアンセルも同じようなことがありました。

 

アンセルは、相手の告発によって、未成年に対する合意なき性交渉が疑われ、

訴訟こそなくなりましたが本人のイメージは奈落の底に突き落とされた時期がありました。

ちょうど、この映画の主演に発表された直後の事件だったかと思います(違ってたらすみません)。

それ以前からアンセルのことを応援し、各種SNSをフォローしていた自分は、わずかながら彼の苦悩を覗くことができました。

 

彼は当時、インスタグラムで彼女との写真を投稿し、ストーリーも頻繁に投稿するほど活発にソーシャルメディアを活用していました。

彼のポジティブキャンペーンによって「容姿良しのアウトドア派、彼女もちだが一途、陽気で素敵な男性」として確固たるイメージもついていたと思われます。

 

しかし、彼も今年28歳の一人の男性だったのです。

この事件によって彼の行い全てが間違いとして捉えられ、彼女とのラブラブな姿ですらネガティブとされていたのです。

もちろん、合意の上であったとしても、未成年に対する不適切な関係は慎むべきものとされています。未成年の方が傷ついたのであれば、それを真摯に反省したことでしょう。

それにしても、世間の扱いが思ったより鋭いものであったため、

彼はSNSを全閉鎖し隠居生活を送る事になるのです。

 

実はその間に撮影されたのが WEST SIDE STORYだといわれています。

トニーが自分自身と向き合って、今後をやり直したい思いとアンセルの思いは、

どこかつながりがあったのではないかと思います。

 

その演技が、悲劇の中にも希望をもたせてくれるあの感動となったのかもしれませんね!

トニーはマリアと出会い、真摯に向き合って結婚の誓いまでかわします。

それまではスラム街で世の中に反抗することが生きがいだったのに、

マリアと遠く離れた街で、社会の中で愛する家族として暮らしたいと思いを改めていくわけです。

この間たった2日間というすごく短いスパンですが(笑)

 

アンセルはこの隠居期間に思ったことを、トニーにぶつけていたようにも思います。

結果、名演となってよかった。彼も現在はSNSを再開、少しずつ通常運転に戻ってきているようです。まさに「やり直し」の人生を彼は送り始めているのです。

 

この映画のメッセージについて(個人的解釈です)

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映画で伝えたいメッセージについては、すでにたくさんの議論がなされています。

ここでは個人的に感じたメッセージについて話そうと思います。

 

この映画ではそれぞれの視点からの「正義」が描かれていました。

お互いに信じている正義が違うだけで、人が死ぬほどの争いを起こしてしまうことは

ある意味人間の性を具体化しているような気がしました。

 

ジェッツとシャークス、この2つの争いが中心でしたが、

その中には多数と少数、人種差別、性差別、LGBT+に対する差別等の

人々の争いの歴史が凝縮されていました。

そしてこの映画には「正義の味方」が一人もいませんでした。

なぜなら、全員がそれぞれの「正義」をもって行動していたからです。

 

よく正義と悪の対立がなされることが多い、映画界ですが

その路線で言うならばどの人物も正義であり悪だったのだと思います。

 

最後、チノがトニーを撃つシーン。

プエルトリコ系として、これまで人種差別をされた側として

そして、親友の仇としてトニーを殺害しました。

その結果は、同じ仲間だと思い好意を寄せていたマリアに

「今のわたしならあなたを殺すことができる」と言われ憎まれる結末でした。

自分が正義だと思って行ったことが実は「悪」となりうる行動だったのです。

 

その後、トニーの死とマリアとの永遠の別れの場面が描かれ、悪となり果てたチノの影は失われることになります。

鑑賞していた人たちは、トニーとマリアに共感し、チノに対して憎悪を抱いた人も少なくないでしょう。僕もそうでした(笑)

 

それまでチノは全く悪の存在ではありませんでした。

むしろ、親友でありマリアの兄であるベルナルドの暴走を止めうる唯一の存在として期待すらもたれていたことでしょう。

しかし、彼の正義感の強さが暴走した結果、殺人に至り親友の妹を悲しませてしまった。

一体「正義って何なんだろう」と虚しい気持ちになりました。

 

それぞれの「正義」があることは良くても、暴走することで「悪」となり悲しみと虚しさを生んでしまう。

正義の暴走」は危惧するべきであるということを、この映画では伝えたかったのではないでしょうか。

 

最後に

今回は2つのテーマについて、具体的な場面を挙げながら感想を書いてみました。

乱文となってしまいすみません…

 

やり直し」「正義の暴走

この二つのワードが強く頭に残っています。

人間である限り、過ちは犯すし、加害者になりうる。

だからこそ、自分を見つめなおして、地道に人生をやり直していくことで

思いやりのある社会、争いや差別のある社会となるのではないか

そう思わせてくれる

改めて素敵な作品であると思いました。

 

リメイクを計画してくれたスティーブン・スピルバーグ監督

リメイク・アレンジを認めてくれたバーンスタイン家の方々

改めて敬意を表します。


FOR DAD.

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もう一回映画観たいな。円盤化はよ!(笑)

ノブでした。